浪曲師・春野恵子として活躍中の、
唐木恵子さん。
持ち前の冒険心で、
『 電波少年 』の「 ケイコ先生 」として
挑戦してきました。
「 ケイコ先生 」のキッカケとなった
東大は、受験勉強自体においても
大きな財産をくれたようです。
その大きな財産とは・・・
相撲と東大受験
東大受験のキッカケは、
相撲だったそうです。
相撲に関わりたかったらしいのですが、
女性なので、力士や行司、床山には
なれません。
しかし、
おかみさんになって陰から支えるタイプ
でもない、ということで、思いついたのが、
スポーツ科学を学んで支えることでした。
この辺りの
見切りのつけ方の感覚と合理的な考えが、
東大受験でも役立ったようです。
先駆者を目指す
スポーツ科学に行き着くまで、
いろいろと調べたようです。
そして、「 これならば 」という感触を
スポーツ科学に感じたようです。
その時の目標が、相撲界での
最新トレーニングの先駆者だったそうです。
最先端を目指すあたりは、気性でしょうか。
先頭に立って革新的なことをするのが、
好きみたいですね。
東大に親しむ環境
東大受験となったのは、調べていた過程で、
東大でスポーツ科学が学べることが分かった
からだそうです。
ここでイキナリ東大とでてくるのは、
おじいさん、お父さんと東大の出身で、
お姉さんも東大の法学部出身だという
こともあるのでしょうか。
そんな環境にいると東大が身近に感じられる
のかもしれませんね。
加えて、家も東大の近くにあったそうです。
もっとも、本人の気性から、
学問のトップということで、
東大を自然と目指したのかもしれません。
F判定からのスタート
東大へ行こうと決めたものの、
当時の成績では、
とても無理だったそうです。
高校3年生の夏に受けた模試で、
東大の判定はFだったそうです。
残り1年もないうちに巻き返した、
ということですから、
爆発力があるんでしょね。
その爆発力は、
『 電波少年 』でのブレイク
や今の浪曲での活躍に
つながっているのかもしれませんね。
思い込んだら一直線
担任の先生からは、
「 お相撲さんは、
東大の女の子より女子大の女の子が好き 」
という説得をされたそうですが、
本人は、そちらに気が向かなかったようで、
あくまでスポーツ科学で貢献したかった
ようです。
そのため、
「 勉強してないから駄目なだけで、
勉強したら伸びる 」という
根拠のない自信を抱いたまま、
受験生活を開始しました。
「 第1志望:東大、第2、第3志望なし 」
という、一見、無謀な挑戦でした。
ですが結果からすると、
見事に合格しています。
追い詰められると、
信じられない成果を出す人がいますが、
唐木恵子さんもそのタイプでしょうか。
徹底的にストイックな受験生活
とにかく勉強時間をとったそうです。
朝6時に起き、寝るのは23時。
その間、ご飯、お風呂、トイレの時間以外
ずっと勉強していたそうです。
『 電波少年 』でも、そんな生活でしたね。
受験勉強を長時間していると、
ストレスもたまります。
そのストレス解消の手段も、
大切ですよね。
唐木恵子さんのストレス解消法は、
ちょっとユニークなようです。
唐木さんのストレス解消は、
歌を歌うことだったようです。
ここまでは、普通の人と同じです。
普通の人ならば、
別に時間をとるのですが、
唐木さんは食事中に熱唱していたそうです。
ストレス解消の時間すらもったいない
ということでしょうか。
徹底してますよね。
でもそのストイックな行動は、
確実に今の活躍に貢献している
ように思えます。
『 電波少年 』での家庭教師生活でもそう
ですし、浪曲師の修行でもそうです。
突きつめてやっていくことで、
成果を出してきたのでしょうね。
周囲の助けを借りる柔軟性もあり、合格
とはいっても受験勉強は、
独学だけではありませんでした。
その辺りは柔軟で視野が広いのでしょうね。
姉の友人に家庭教師を頼んで、
勉強のコツを掴んだりしていたそうです。
大量の勉強時間・勉強のコツ・本人の気力
( 火事場の馬鹿力的な )もあって、
みるみる成績が伸び、
ぶじに合格できたそうです。
周囲はみんな、驚いていたそうです。
それはそうでしょうね。
高校3年生の夏にF判定だったのを、
一気に巻き返して合格したのですからねぇ。
模試の成績が当てにならない
という話しもありますが、
それでも大したものです。
やはり、本人の爆発力に加え、
周囲の助けも振り払わない、
柔軟な態度のおかげでしょうか。
冒険心に火がついた
徹底的にモノゴトを突き詰めることは、
簡単なようで甘くなりがちです。
どうしても、
ツメが甘い部分が残りがちです。
それを乗り越えて、
モノゴトを徹底的に追求すると、
周囲の助けをうまく使うのが
難しくなりがちです。
全部自分でやろうとしちゃいますからねぇ。
それを両立したのですから、
たいしたものですよね。
そしてその結果、吹っ切れたみたいです。
本人曰く「 無謀癖に火がついた 」
かもしれないそうです。
しかしその無謀癖は、
冒険心があるということです。
その冒険心で挑戦していったからこそ、
『 電波少年 』、タレント、浪曲師
での活躍があるのでしょう。
「 冒険心 」は、唐木恵子さんの人生にとって大きな財産になりました。
唐木恵子さん改め、春野恵子さんの、
今後の挑戦にも期待しましょう。
トレンド川柳
火がついた 冒険心が 走り出す
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