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ケイコ先生が浪曲師に


『 電波少年 』のケイコ先生
でお馴染み唐木恵子さんが、
浪曲師として活躍中です。


春野恵子という芸名です。


テレビ・バラエティの世界から
浪曲師といいいますと、
ちょっとかけ離れて見えます。


しかし、
幼少時代からたどると、
元々は日本文化や、芝居、
歌の世界に情熱を持っていた
ことが分かります。


唐木恵子さんは、
どのような幼少時代を
過ごしてきたのでしょうか。


幼い頃はアメリカ育ち


唐木恵子さんは、
4~6歳ごろまで、
お父さんである英明さんの
仕事関係で、
アメリカのテキサス州・ダラス
にいたそうです。


お父さんは、
東京大学の名誉教授の
唐木英明さんです。


英明さんは、
親から勘当されたそうです。


英明さんの父親であり、
唐木恵子さんのおじいさん
が専攻する医学とは異なり、
農学部の獣医学科に進んだから
です。


英明さんは、
獣医師の免許をもっています。


恵子さんが4~6歳ごろは、
テキサス大学ダラス医学研究所の研究員
をしていたそうです。


カルチャーショック


幼い時にアメリカにいましたので、
英語は自然と覚えたそうです。


しかしその後、
日本に帰ってきた時に、
日本語が分からなかったそうです。


また、アメリカでの習慣で、
外履きのまま校舎に入ってしまったり、
クラスメイトの男子の頬にキスをして
引かれてしまったりしたそうです。


いろいろとカルチャーショックが
あったようですね。


ミュージカルが大好きになる理由


中学や高校の学園祭では、
英語でミュージカルを
演じたそうです。


歌は英語で表現した方が
しっくりとくるから
だそうです。


やはり幼い頃に学んだ言語によって
感性が決まるのでしょうか。


ミュージカルは、音楽、
台詞およびダンスを結合させた、
演劇です。


好きな歌・芝居の
両方が入っている、
ミュージカルが好きなことは、
納得できますよね。


今でも、
歌と芝居は大好きなようです。


そういえば
浪曲も、
歌う部分(節)と
語り演じる部分(啖呵)
がありますよね。


相撲の追っかけも


日本の伝統芸能である相撲
のファンだそうで、
小学生時代からだそうです。


唐木恵子さんにとっての
相撲の魅力は、
「 シンプルなルール 」
「 身一つの状態でぶつかり合う美しさ 」
だそうです。


幼い頃をアメリカで過ごしましたので、
シンプルな真っ向勝負に
惹かれるのでしょうか。


高校時代は、
相撲の追っかけをしていたそうです。


追っかけを始めたのが
若貴ブーム前のようで、
女子のファンが希少
だったそうです。


そんな昔から、
熱心なファンだったんですね。


浪曲には
相撲を扱ったネタも、
たくさんあるそうです。


そんなご縁で、
鳴門部屋の方々の前で
浪曲を口演したり、
元大関・把瑠都さん
後援会パーティーで、司会
をしたこともあるそうです。


ともに好きなことに関わる仕事
ですので、
うれしさも倍増でしょうねぇ。

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少女時代の密かな夢


実は、小学生時代の夢は
芝居をしたり歌を歌うことを
仕事にしたい、
ということだったそうです。


しかし、
身近にそういう人もいないし、
なり方が検討もつかない、
という情況だったそうです。


一方、
白百合学園時代の同級生が
宝塚に入団した時は、
自分の将来について
思い悩んだようです。


当時は、
そのを口に出すことも
自分の中で意識するのも
恥ずかしいかったようですので、
その同級生の行動力は、
うらやましかった
のではないでしょうか。


白百合学園時代の学園祭で、
ミュージカルをやった
そうですが、
仕事にしたいという意識までは、
恥ずかしくて持てなかったようです。


当時は、
夢に対して中途半端な状態で、
情熱を持て余していた
みたいですよ。


本気でなりたいものに
情熱を向けられないことは、
つらいものです。


その点で唐木恵子さんは、
相撲という他の情熱の行き場所
がありましたので、
ある意味、幸運でしたね。


夢が叶う


幼い頃、
仕事にしたいと密かに情熱を抱いた、
歌と芝居。


そして、日本の伝統への興味。
(幼い頃アメリカで過ごしたから、
余計にそうなるのでしょうか。)


それらの情熱を満たしてくれるものが、
浪曲ということですね。


唐木恵子さん改め
春野恵子さんの、
今後の活躍に期待しましょう。


やはり情熱を注げることだと
沸いてくるパワーが違いますからね!


トレンド川柳


育んだ 情熱込める 浪曲に

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