ベテラン俳優・柄本明さんは、
役者の道を楽しんでいます。
その境地は、どんなものなのでしょう?
その心は息子である
柄本時生さん、柄本祐さんにも
伝わっているようです。
そして
柄本祐さんの奥さんの
安藤サクラさんに、
役者としての覚悟を
伝えているのではないでしょうか?
柄本明さんの役者観
ベテラン俳優の柄本明さんが、
その役者観について語っています。
柄本明さんは、
経験を重ねるほどに
役者について理解が深まり、
演技が簡単になっていくと、
以前は思っていたそうです。
しかし実際は、
経験を重ねるほどに
「 役者とは何なのか 」が
ますます分からなくなっていき、
どんどん演技が難しくなってきた
そうです。
「 無知の知 」という言葉があります。
この言葉は、
「 知らないということを、知りなさい 」
という意味です。
人間だれでも固定観念があります。
その固定観念が常識となり、
それぞれの物の見方だけではなく、
その“ 見え方 ”にも影響します。
その結果、
誰でも盲点ができ、
「 見えないことに気づかない 」
つまり
「 知らないということに気づかない 」
物事がでてくるのです。
柄本明さんの場合は、
「 理解が深まるほど、
ますます深い部分が見えてきた 」
ということだと思います。
深い理解は人を熱中させるものですので、
やっていてとても楽しいことです。
事実、柄本明さんも、
「わからない」ことが面白い、
と言っています。
役者の道に深く入れば入るほど、
「 わからないこと 」が増え、
しかしそれが楽しい。
これはどのような仕事でも、
一緒ではないでしょうか?
逆に
すべて理解しているつもりの場合は、
要注意状態といえるのではないでしょうか?
柄本明さんによれば、
「 役者とは潜在的失業者 」
だそうです。
「 需要があるかどうかは、
世間の人が決めることであって、
その中で仕事をもらえるのは
ありがたいことだ 」
と言っています。
これは、
自分で仕事を作る人全般
にいえそうですね。
そんな柄本明さんの息子である、
柄本時生さんと柄本祐さん、
そして柄本祐さんの妻、安藤さくらさん。
身近にいるその3人も
柄本明さんの影響を、
受けているのではないでしょうか。
柄本時生の役者観
柄本時生さんいわく、
俳優はものすごく恥ずかしい
という思いがあるようです。
大勢が観ている前で愛の告白
をしたりしなければならないからです。
確かにそう考えると、
とても恥ずかしいですね。
でも逆に、それが快感である人や
それで燃える人もいるようです。
そうみてみると、
世間ずれしていない
といえるのではないでしょうか。
柄本時夫さんいわく、
「 役者とは非日常を経験する職業 」
だそうです。
自分の常識的にはやらない行為をするから、
非日常を経験する職業なのでしょうか。
ベテランの域の柄本明さんと比べて、
精一杯演技するという想いが、
伝わってきますね。
もちろん
柄本明さんも真剣に演技しているのでしょうが、
ベテランの余裕が感じられます。
それに比べて柄本時夫さんは、
若いからか、一生懸命さが伝わってきます。
柄本時夫さんによりますと、
「 いつ居場所がなくなるか分からないので
どんな役でも精一杯の演技をする 」そうです。
この辺りは父親の柄本明さんの言葉
「 役者は潜在的な失業者 」
を思い起こされます。
やはり身近にいると影響を受けるのでしょうね。
その影響が柄本時夫さんを、
どんな役者に育てるのでしょう。
とても楽しみですね。
柄元祐さんの役作り
柄本祐さんにとって、
台本と現場に入ってからの感覚
が大切なようです。
「 言葉にすること 」が苦手らしいです。
あまりあれこれ考えるタイプ
ではないのでしょうね。
ではどうやって役を演じるのかといいますと、
「 セリフを覚え 」て、
「リハーサルの時に、こうしようかなと
ふっと思う 」そうです。
言葉では考えてないでしょうけど、
セリフを覚える時やリハーサルをしている時、
感覚的に色々と
吸収しているのでしょうね。
それがイメージになって、
自然と役づくりに反映されるのではないか、
と思います。
ある時、母親の角替和枝さんに、
「 自分の演技にいつもがっかりする 」
とこぼすと、
このような意味のことを言われたそうです。
「 役者の仕事は
“ 待つこと ”、“ がっかりすること ”
の2つに慣れること。 」
それが“目からウロコ”だったそうです。
この言葉は、
父親である柄本明さんの
「 役者とは潜在的失業者 」
という言葉を思い起こされますね。
いつ仕事が飛ぶか分からないからこそ、
“そのがっかり”や次の仕事を待つ
ことが必要になります。
柄本明さんと角替和枝さんは夫婦ですので、
さまざまな苦労を共にしているのでしょう。
それが廻りまわって、
角替和枝さんの口から
柄本祐さんに影響を与えたわけですね。