浪曲師・2代目春野百合子さんの元へ
通えるようになった、唐木恵子さん。
ゼロスタートの決意で、
大阪へ移り住みます。
修行中の収入は、ほぼ0。
しかし、修行には最適な環境でした。
浪曲漬けの毎日の中、
唐木恵子さんは、
浪曲師・春野恵子になっていきます。
不退転の決意で大阪へ
2代目・春野百合子さんの所へ
通う許可を得た、唐木恵子さん。
半年ぐらいは、
東京から通っていたそうです。
お金の節約のため、夜行バスでしょうね。
その間、得意の家庭教師をしながら、
お金を貯めたそうです。
自然とできることは、
強みである可能性が高いそうです。
「 ケイコ先生 」役も家庭教師でしたから、
抵抗なく自然とできるのでしょうね。
そして、大晦日のことです。
不退転の決意で、頭をボウズにしました。
もちろん、自分の手でバリカンでしました。
そうしておいて、
持てるだけの荷物だけで、
大阪の短期賃貸マンションに
移り住んだのです。
思い切りましたねぇ。
浪曲に出会って、
生まれ変わった気分だったようで、
ゼロスタートの決意でした。
こうして、
大阪での修行三昧の生活が始まるのです。
大阪での修行環境
まさに、修行生活でした。
浪曲漬けの毎日でした。
それぐらい体に染み込まさないと、
芸が身につかないのでしょうね。
日本には、
「 型 」という身体知の文化があります。
「 型 」は「 形 」のことです。
師匠から教えられるのは
「 形 」ですが、
そこに「 魂を込める 」のは、
教わる側です。
「 形 」だけの形骸化した浪曲では、
誰も感動しません。
浪曲の感動の影には、
気持ちを込めた、
いくつものケイコが必要なのです。
大変なことですねぇ。
しかしそれだけに、価値が輝くのです。
修行の場を整えるため
知り合いのいない大阪は、
修行の場として良かったようです。
その環境を維持するために、
『 電波少年 』の「 ケイコ先生 」
だということは、伏せました。
1部のお笑い好きな人には、
バレタようですが。
ゼロスタートの覚悟で、臨んだのでしたね。
一見、体当たりだけのようでも、
成功に必要な環境を整える、
そんな配慮ができています。
このあたりが、
唐木恵子さんらしいところですね。
昔からの事
大阪での生活は、修行に加え、
師匠のお手伝い・身の回りの世話が
あったそうです。
内弟子みたいな生活、
ということでしょうか。
身近で師匠の生活を感じることで、
浪曲のための感覚も、
吸収できるのでしょうね。
昔は、
修行は住み込みが基本だったようですね。
江戸時代の丁稚もそうですし、
明治時代の書生なんかもそうです。
昭和期に存在した、
学生を下宿させてくれる家の場合も、
勉学修行を応援するため
という意味合いではないでしょうか。
(今もあるかもしれませんが。)
今でも、大学生が多い地域では、
学生を応援するために、
ボリュームのあるご飯を低価格で提供する
お店があったりしますよね。
それも、
修行時代を応援するという、
昔からの流れ、
かもしれませんね。